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副島孔太の現在 『野村ノート』に救われ学習塾のオーナーに転身!?

   

 

2016年11月11日の
TBS
『爆報!THEフライデー』で
プロ野球
元ヤクルトスワローズの選手だった
副島孔太(そえじま こうた)さんの現在が
紹介されます。

 

副島さんは、
2004年にプロ引退後、
どん底のバイト生活を経て
現在は、
意外な職業に転身されています。

 

副島さんは、
”ノムさん”こと
名将 野村克也 監督の
愛弟子だそうですが、
あの『野村ノート』に救われたそうです。

 

ここからは、
副島孔太さんのプロフィール、
シニア時代~プロ引退まで、
引退後~現在までを
ご紹介。

 

そして、
気になる
『野村ノート』についても
調べてみました。
 
 

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副島孔太さん プロフィール

 

【生年月日】

1974年5月17日
(現在42歳)

 

【出身地】

東京都大田区

 

【身長】

186㎝

 

【体重】

88kg

 

【投球・打席】

右投 左打

 

【ポジション】

外野手
一塁手
三塁手

 

【出身校】

桐蔭学園高等学校
法政大学

 

 

 

シニアリーグ時代~桐蔭学園高校

 

副島さんは、
大田シニアリーグ時代から
日本代表に選ばれ、
『第一回シニアリーグ世界選手権』に
出場、
第一号となるメモリアルアーチを放ち、
日本代表の優勝に大きく貢献、
一塁手として
ベストナインにも選ばれました。

 

桐蔭学園高校では1年生にして
レギュラーに定着。
桐蔭学園の主軸として、
同世代の松井秀喜選手(当時 星稜高)と
比較されるなど注目されました。

 

1991年と1992年、
『全国高等学校野球選手権大会』の
第73回と第74回大会に連続出場。

 

第73回大会では3回戦まで進出、
2年生にして4番打者を務め、
対 鹿児島実業戦では
ライトのラッキーゾーンへ
本塁打を放っています。

 

第74回大会では、
3年時のチームが打線に厚みが増し、
優勝候補筆頭と言われていたが、
まさかの初戦サヨナラ負け。

 

しかし、
この試合の延長戦で
副島選手は
あわやバックスクリーン直撃となる
大飛球の二塁打を放っています。

 

 

 

法政大学~プロ入り

 

その後、
法政大学へ進学すると、
強打者として活躍。

 

1995年の『全日本大学選手権』では、
東北福祉大学を破って学生王者となり、
1996年のドラフト会議で
ヤクルトスワローズから5位指名され入団。
(背番号25)

 

当時、
ヤクルトの監督だった
野村克也監督は、
沙知代夫人の所有する
少年野球チーム(シニアリーグ)の関係から
副島選手の実力を昔から熟知しており、
その影響があっての指名と
いわれているそうです。

 

 

 

ヤクルト時代~オリックス時代

 

ヤクルト時代

2000年、
92試合に出場、
打率.321
本塁打10

 

2001年10月24日、
神宮球場で開かれた
日本シリーズ第4戦
対 大阪近鉄バッファローズ戦では
7回裏、
代打で登場、
近鉄二番手投手から
決勝本塁打を放ち、
チームの4年ぶり日本一に貢献。

 

 

オリックス時代

2002年シーズン途中、
戎信行投手との交換トレードで
オリックスブルーウェーブへ移籍。
(背番号 1)

 

長距離砲として期待されるが、
レギュラー争いに敗れ、
2004年、
自由契約となりプロ引退。

 

通算 8

試合 463

233 安打

21 本塁打

106 打点

打率.255

 

 

 

プロ引退後

 

2005年、
萩本欽一さん率いる
『茨城ゴールデンゴールズ』の
立ち上げに携わり
兼任コーチとして2年間プレー。

 

2007年からは、
東京都内で飲食店に勤務する傍ら
桐蔭学園高校時代の同級生
萩島賢さんが監督を務める
『フェデックス硬式野球部』
(長野県塩尻市)に移籍し、
選手兼コーチとして活躍。

 

2008年には、
TDK千曲川の補強選手として、
都市対抗に初出場。

 

2010年から、
社会人クラブチーム
『鉄腕硬式野球部』のヘッドコーチに就任。
2011年から2012年までは
監督を兼任していました。
 
 

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副島孔太さんの現在

 

引退後も
野球に携わる仕事をされてきた
副島孔太さんですが、
現在は、
なんと
川崎市内の学習塾のオーナーに
なっているそうです。

 

副島さんは、
知人を介して
全国展開する塾『名学館』の関係者に会い、
川崎市中原区の元住吉公の開校と
経営を決意し、
2015年2月、
経営者となりました。

 

川崎市中原区は、
副島さんにとって
法政大野球部時代を過ごした
思い出の地だそうです。

 

この塾には
小学1年生から中学、高校生まで
約五十人が通っており
受験や補講が目的だそうです。

 

 

なぜ、
副島さんは意外な職業に転身したのか…

 

副島さんは、
プロ引退後も
野球に携わってきましたが、
その一方で、
塾の経営にも関心があったそうです。

 

副島さん自身は、
桐蔭学園で甲子園に
2度出場することができましたが、
副島さんがコーチなどをしている時、
野球が上手でも
希望する高校に進学できなかった生徒を
見てきたそうです。

 

副島さんは、
塾を経営する前まで
硬式野球クラブ『スカイホークス』の
指導にも関わっており、
そこでは、
挫折しながらも
野球を続けようとする高校球児らに
「ここはゴールじゃない。
この先、どうなれるかが大事」と
教えてきたそうです。

 

子どもたちに関わるという意味では、
塾も野球も同じで
「勉強をおろそかにしてはいけない。
何かサポートできればと思って」と、
塾の経営を始めたそうです。

 

野球は失敗の連続だけど、
そこから
どれだけのものを得られるか…という
過程が大事だという副島さん。

 

勉学や野球などで
それぞれの道を目指す子どもたちに
あきらめないことを教えたくて
この業界に転身した副島さんは、
「努力は嘘をつかない。
自分を信じて頑張って」と
子どもたちを応援しているそうです。

 

 

 

野村ノートに救われた!?

 

現在、
学習塾のオーナーに
なっている副島さんですが、
今回、
『爆報!THEフライデー』では、
恩師である
野村克也さんの
『野村ノート』に救われたという
エピソードが紹介されるようです。

 

野村克也さんといえば、
ヤクルト、阪神、
社会人野球のシダックス、
楽天の監督として、
選手の育成、
チームの改革を果たしてきた名将。

 

ベストセラーにもなった
野村克也さんの著書
『野村ノート』では、
具体的な試合や
選手の例を挙げながら、
配球術から采配、
選手の育成法など、
多岐にわたって解説。

また、
指導者のあり方も説いてあります。

 

この『野村ノート』の
ベースの一つは、
野村さんが現役時代からつけていた
”野村メモ”。

そこには、
捕手として受けた
その日の投球の内容が
詳細に記録されてあり、
データ分析など
あまり行われていなかった
1960年代前後からの
貴重な記録だそうです。

 

もう一つは、
1999年
阪神監督時代に
野球指導のため
選手に配布されたという
”野村の考え”。

それは、
戦術論、戦略論、データや心理分析、
さらに、
社会人としての生き方などを網羅した
テキストだそうです。

 

弱いチーム、
才能で劣る選手が集まったチームが
強いチームを倒すために
何をするか…

駆け引きやデータの活用、
心理を読んだ攻め…などの力を駆使して
力で上回るチームに勝つという
野村監督の根本にある考えが
書かれてあります。

 

『野村ノート』といえば、
ID野球を確立した
野村さんの著書だと思いますが、
ひょっとしたら、
今回、
『爆報!THEフライデー』で
紹介される
『野村ノート』は、
副島さんが現役時代、
野村監督が
ミーティングで話したことや
ボードに書いたことを
”ノートにとっていたもの”かも
しれませんね…
 
 

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