なる家のまねき猫

40代の私の気になる話題を紹介

O.J.シンプソンの運命を変えた写真 決定的な証拠を見せられた時の顔が!

      2017/10/19

 

2016年10月2日(日)の
フジテレビ
『世界法廷ミステリー』で
世紀の大逆転!
O.J.シンプソン裁判の真実が
放送されました。

 

この事件は、
元アメリカンフットボール選手で
国民的スーパースターだった
O.J.シンプソン(当時46歳)が
自分の元妻と、
その交際相手を殺害した容疑で
逮捕され裁判になった事件。

 

逆転に次ぐ逆転…
この裁判は世紀の裁判として
世界中で注目されました。

 

O.J.シンプソン事件 裁判の真実

 

今回、
『世界法廷ミステリー』では、
O.J.シンプソン事件を追い続けた
世界的ジャーナリスト
ローレンス・シラーに接触、
20年もの間、
裁判所で封印されてきたという
特別な映像
『O.J.のインタビュー映像』を
独占入手し紹介していました。

 

このインタビューでは、
事件当日について
O.J.シンプソンに質問、
終始平然と答えていた
O.J.でしたが、
ある1枚の写真を見た瞬間、
目を大きく見開き
動揺する姿が
映されていました。
 

 

そして、
この1枚の写真によって
O.J.の運命は
大きく狂い始めたのです。
 
スポンサードリンク




 

 

民事裁判へ

 

逮捕から1年4ヵ月ぶりに
帰宅したO.J.シンプソン。

今回、
『世界法廷ミステリー』では、
O.J.が帰宅した時の
貴重な映像を
紹介していましたが、

 

その中で、
O.J.は、
次のようにつぶやいていたのです。


「This prosecution team
let the killer give a win.
(検察は殺人者を勝たせてしまったな)」

 

この言葉が何を意味しているのか
わかりませんが、
アメリカの法律では、
O.J.シンプソンを
これ以上、
同じ殺人罪に
問うことはできません。

 

これは、
アメリカ合衆国憲法
修正第5条に定められた
”二重処罰の禁止”で、
同一の犯罪で二度有罪にはならないのです。

 

つまり、
O.J.の無罪が、
二度と覆ることはないということ…

 

 

しかし、
O.J.シンプソンの無罪評決に対し
諦めきれない人物がいたのです。

 

その人物とは、
息子 ロナルドさんを殺害された
フレッド・ゴールドマンさん。

 

ニコールさんが忘れた
眼鏡を届けるため
自宅に立ち寄った際、
19ヵ所もメッタ突きされ殺害された
ロナルドさん。

 

しかし、
メディアが取り上げるのは、
O.J.の元妻
ニコールさんのことばかりで、
ロナルドさんの名前は、
ほとんど報道されなかったといいます。

 


ロナルド・ゴールドマンさんの父親の執念

 

しかし、
フレッドさんにとっては、
かけがえのない息子。

 

O.J.は本当に犯人ではないのか…

刑事裁判で、
なぜ何も語らなかったのか…

 

フレッドさんは、
民事裁判を起こす決意をしたのです。

 

民事裁判は、
ロナルドさんの死の責任が
誰にあるのかを問う裁判で、
事実上、
O.J.が犯人か否かを問う
最後の手段でした。

 

フレッドさんは、
知人から紹介された
ダニエル・ペトロチェリ弁護士に
弁護を依頼。

 

しかし、
企業弁護士として
民事裁判では優秀だった
ダニエル・ペトロチェリ弁護士でしたが、
殺人事件の裁判経験はゼロ…

 

「世紀の裁判」と呼ばれた事件で
無罪になった男を有罪だと示すには
とても難しい状況だったといいます。

 

依頼を受けてから
約1週間後、
この依頼を断るつもりで
フレッドさんの元を訪れた
ペトロチェリ弁護士でしたが…

「私の息子は最後まで闘って
死んでいきました。
民事裁判で闘うことが
息子のためにできる
唯一のことなんです…
O.J.シンプソンが
息子を殺したと告白するのを
聞きたいのです」という
フレッドさんの言葉に
息子を殺された父親の無念を感じた
ペトロチェリ弁護士は、
O.J.シンプソンと闘うことを決意したのです。

ペトロチェリ弁護士には、
秘策がありました。

それは、
O.J.シンプソン自身のインタビュー。

民事裁判は刑事裁判と違い
喋ることを拒否すれば、
O.J.は闘わずして負けたも
同然だというのです。

刑事裁判では、
O.J.の犯行が完全に証明されなかったため
O.J.は喋らなくても無罪になりました。

しかし、
民事裁判では、
訴えた方と訴えられた方、
お互いの主張の
どちらを信用するかが
判断の基準となるのです。

つまり、
O.J.にインタビューを要請し、
拒否すれば
陪審員の印象を下げ
不利になるのです。

裁判に負ければ
巨額の賠償金を支払わなければならない
O.J.は、必ずインタビューに応じるはず…
 
スポンサードリンク




 

O.J.シンプソン インタビュー証言

 

1996年1月22日
ペトロチェリ弁護士の思惑通り、
O.J.がインタビューに応じました。

 

裁判所から許された
タイムリミットは10日間、
その中で事件の真相を
O.J.本人から
引き出さなければならないのです。

 

インタビュー証言は、
O.J.の弁護士と
遺族のフレッドさんが
立ち会う形で始まりました。

 

『世界法廷ミステリー』では、
O.J.シンプソンの
実際のインタビュー証言映像を
日本独占入手。

そこには、
O.J.を追い詰めた決定的瞬間が
映っていました。

 

 

 

【インタビュー 2日目】

 

 

ペトロチェリ弁護士は、
刑事裁判で注目された
3つの物的証拠について質問しました。

 

まずは事件の翌日、
O.J.が負っていた左手の指の傷について
事件数時間前の
娘との2ショット写真には
傷はないが、
現場には犯人の血痕が残されており、
刑事裁判の
検察側の主張では、
O.J.の指の傷は
犯行時に負ったものと主張していました。

 

◇ ペトロチェリ弁護士
「中指の傷はどうしてできたんですか?」

 

◆ O.J.シンプソン
「ホテルでグラスを割って
片づけている時にできたんです」

 

◇ ペトロチェリ弁護士
「指のどの部分をケガしたんですか?」

 

▼O.J.の弁護士
「さっき答えたから答えなくていい」

 

◇ ペトロチェリ弁護士
「壊れたグラスの破片で
ケガをしたということですか?」

 

◆ O.J.シンプソン
「そうです」

 

◇ ペトロチェリ弁護士
「どの破片?」

 

◆ O.J.シンプソン
「休憩とっていいかな?
やってられないよ」

 

 

【インタビュー 4日目】

 

◇ ペトロチェリ弁護士
「ニコールの顔にある
アザや傷が分かりますよね?」

 

◆ O.J.シンプソン
「いや ホラー映画の特殊メイクを
していたんだよ」

 

◇ ペトロチェリ弁護士
「メイク?」

 

◆ O.J.シンプソン
「そうだ」

 

その後も
O.J.は、
何も ボロ を出すことなく平然と
ペトロチェリ弁護士の質問に答えていました。

 

 

【インタビュー 7日目】

 

警察が見つけた被害者の血の付いた
左右の手袋についての質問。

 

右手はO.J.の自宅から、
左手は殺害現場から発見され、
なぜか法廷では
はまらなかった手袋について

 

◆O.J.シンプソン

 

◇ペトロチェリ弁護士
「あなたの家で見つかった手袋は
事件現場とつながる
重要な証拠ですよね?」

 

◆O.J.シンプソン
「僕はそうは思わないけど」

 

この日も
何も聞き出せないまま
時間だけが過ぎていきました。

 

 

【インタビュー 9日目】

 

現場に残された靴跡から判明した
ブルーノ・マリという
ブランドの靴について質問

 

◆O.J.シンプソン
「そんな靴は履かないと言っただろう」

 

 

事件当時、
その靴を持っていたか…の質問

◆O.J.シンプソン
「いいえ」

 

またしても全面否定した
O.J.シンプソン。

 

ペトロチェリ弁護士は、
持っている証拠について
全てO.J.に質問し、
彼に答えるよう要求しましたが、
O.J.は、
確信に迫る質問になると
まともに答えようとしなかったのです。

 

刑事裁判で使われた
3つの証拠では、
O.J.を追い詰めることはできないのかと
思われていましたが…

実は、
ペトロチェリ弁護士らは、
新たな証拠を発見していたのです。

 

それは、
O.J.の電話の通話記録でした。

事件当日、
O.J.は同じ番号に
何度も電話をかけていたのです。

 

事件発生直後、
O.J.が
8本もの電話をかけていた相手は、
事件当時
O.J.シンプソンの恋人だった女性、
女優のポーラ・バルビエリでした。

 

ちなみに
ポーラ・バルビエリさんは、

映画
『ザ・デンジャラス 地獄の銃弾』
(1994年)

『シークレット・アイズ
覗かれた殺意』
(1997年)
に出演されています。

 

 

刑事裁判では、
「恋人ポーラがいたのに
嫉妬して
元妻ニコールを殺すはずがない」と、
弁護側が主張していました。

 

O.J.は、
なぜ、
事件当日に何度も
ポーラに電話をかけていたのか…
ペトロチェリ弁護士は、
ポーラを呼び出し質問しました。

 

 

【ポーラ・バルビエリへの インタビュー】

 

◇ ペトロチェリ弁護士
「初めてシンプソン氏と会ったのは
いつですか?」

 

● ポーラ・バルビエリ
「1992年よ」

 

◇ ペトロチェリ弁護士
「O.J.との交際は
順調だったんですよね?」

 

● ポーラ・バルビエリ
「いいえ」

 

◇ ペトロチェリ弁護士
「O.J.シンプソンに別れたいと
伝えたんですか?」

 

●ポーラ・バルビエリ
「はい」

 

◇ ペトロチェリ弁護士
「それはいつですか?」

 

● ポーラ・バルビエリ

 

◇ ペトロチェリ弁護士
「日曜だったのでは?」

 

● ポーラ・バルビエリ
「そうです」

 

◇ ペトロチェリ弁護士
「なぜ その日にちを
はっきりと覚えているんですか?」

 

●ポーラ・バルビエリ
「その日が殺人事件があった日だからです」

 

ポーラは、
なんと、
犯行当日の朝、
O.J.の留守番電話で
別れを告げていたのです。

 

それを聞いたO.J.が
ポーラに説明を求めて
8回も電話をかけたのか…

 

ポーラは、
ニコールと娘の存在が理由で、
O.J.と別れることを
決意したといいます。

 

 

【破局の件をO.J.に質問】

 

破局の原因となった
ニコールへの恨みから
O.J.が、
犯行に及んだ可能性も浮上、
ペトロチェリ弁護士は、
この新事実を
O.J.に突きつけました。

 

◇ ペトロチェリ弁護士
「事件当日の(午前)7時6分に
ポーラがあなたに残した留守電を
ききましたか?」

 

◆O.J.シンプソン
「いいえ」

 

◇ ペトロチェリ弁護士
「1 2 3 4 5 6 7 …
あなたは8回も
ポーラに電話をかけていますよね?
ポーラから別れを告げられたんじゃ
ないんですか?」

 

◆O.J.シンプソン
「それは違います」

 

新たな証拠にも
O.J.は動揺せず否定、

そして、
インタビュー証言は
最終日を迎え、
結局、
最後のインタビュー証言でも
決定的な事実は聞けず、
時間切れとなってしまいました。

 

ペトロチェリ弁護士は、
未練を残して
カメラを止めようとしましたが、
その間際、
まるで、
うまく逃げ切ったとでもいうように
O.J.シンプソンは笑っていたのです。
 
スポンサードリンク





 

O.J.シンプソンを破滅させた1枚の写真

 

このまま裁判を行っても
勝てない…と思っていた
ペトロチェリ弁護士。

 

しかし、
ある日 新聞に掲載されていた
1枚の写真に釘付けになったのです。

 

この1枚の写真は、
刑事裁判では出されなかった
証拠でした。

 

O.J.側の
刑事裁判での主張を覆す
決定的な証拠写真を入手した
ペトロチェリ弁護士は、
この決定的な写真を
O.J.に突き付けるため
インタビューを
1回だけ延長するよう裁判所に申請。

この11回目のインタビューが
O.J.を追い詰める
最後のチャンスでした。

 

 

【インタビュー 11日目… ① 】

 

この日のインタビューでは、
ある1枚の写真が
O.J.の目の前に出されました。

 

◇ ペトロチェリ弁護士
「この写真を見たことはありますか?」

 

すると、
それを見たO.J.は
目を大きく見開いたのです。

 



 

今回、
『世界法廷ミステリー』では、
O.J.の運命を変えた写真を撮った
カメラマン
ハリー・スカル氏に話を聞いていました。

ハリー氏によると、
この写真は、
事件発生の9ヵ月前、
アメフトのイベントに出席する
O.J.の姿を捉えた写真だったそうです。

 

O.J.シンプソンの
運命を変えた写真がコチラ

 

そこには、
事件現場で発見された靴跡と同じ
あのブルーノ・マリの靴を履いている
O.J.の姿が…

さらに、
この写真では、
O.J.の履いている
右側の靴底が
かすかに見えており、
それは、
事件現場の靴跡の模様と
一致していたのです。

 

つまりO.J.は、
あの靴を持っていたのです。

この写真は、
O.J.が殺害現場にいたことを示す
極めて有力な証拠だったのです。

 

刑事裁判で
「誰もO.J.に
この靴を売った人はいなかった…
O.J.がこの靴を持っていたという
証拠は何一つありません」と
主張していた
O.J.の弁護団の主張は、
たった1枚の写真によって
崩れ去ったのです。

 

 

【インタビュー11日目 … ② 】

 

決定的な証拠写真を見せられ
大きく目を見開いた
O.J.は、
「この靴には見覚えがないなぁ」と、
しらばっくれていました。

 

◇ ペトロチェリ弁護士
「見覚えがない?」

 

◆O.J.シンプソン
「ないね」

 

◇ ペトロチェリ弁護士
「その靴を履いたことは
覚えていますか?」

 

◆O.J.シンプソン

 

◇ ペトロチェリ弁護士
「写真に写っている
この靴をあなたは持っていなかったと
言うんですね?」

 

◆O.J.シンプソン
「わからないけど
見た感じスエードの靴に
見えるね」

 

O.J.は曖昧な回答で
取り繕うしかなかったのです。

 

しかし、
証拠写真を見て
大きく見開いた目は、
自ら殺人を告白したに
等しかったのです。

 

 

民事裁判 評決

 

事件から2年9ヵ月後の
1997年3月10日

民事裁判の評決

 

O.J.シンプソンは、
ニコールさんとロナルドさん
2人の死に
責任があると判断されたのです。

 

事実上、
O.J.が殺人犯であると
世間が受け止めたのです。

 

無罪評決だった刑事裁判から
1年4ヵ月、
世紀の裁判は民事での大逆転で終わったのです。

 

民事裁判で勝利した
ペトロチェリ弁護士は、
「2人の死の責任がO.J.にあると
ようやく立証されました…
この事件に関わったみんなに言いたい。
彼らを弁護できたことは
とても特別で光栄でした」と、
コメント。

 

そして、
ロナルドさんの父親は、
「2年半を超えて
やっと息子とニコールへの
正義を果たすことができました。
完全な真実です。
責任ある
この評決にとても感謝しています。
それだけをずっと求め続けてきました。
ありがとう」と
感謝を述べていました。

 

 

破滅に追い込まれたO.J.シンプソン

 

民事裁判によってO.J.シンプソンの運命は激変。

 

2人の死に対し、
約40億円もの賠償金を支払うよう
命じられました。

 

多額の弁護士費用をかけ
ドリームチームを結成した
O.J.にとって、
それは、
もはや支払うことのできない
大金でした。

 

そして、
O.J.は、
破滅へと追いこまれていくのです。

 

民事裁判の評決から10年後の
2007年9月16日

 

O.J.シンプソンは、
強盗容疑などで
逮捕されたのです。

 

O.J.は、
賠償金を支払えず、
アメフト現役時代に獲得した
トロフィーなどを
裁判所に差し押さえられていました。

 

それらは、
全てを失ったO.J.にとって
唯一誇れる過去の栄光でした。

 

O.J.は、
オークションで落札した男性を監禁、
拳銃で脅して奪い取ったのです。

 

O.J.は裁判で、
「盗むつもりなんてなかったんです。
私は自分が失ったものを
取り返そうとしただけです。
申し訳ありません」と語っていました。

O.J.シンプソンに下されたのは、
有罪。
最長33年の禁固刑でした。

 

かつてアメリカを熱狂させた
スーパースター
O.J.シンプソン(当時61歳)の姿を
殺害されたロナルドの父
フレッドさんは、
傍聴席で静かに見つめていました。

 

そして、

評決が下されたその日は、
2008年10月3日

刑事裁判で無罪評決が下された日は、
1995年10月3日…

くしくも同じ日だったのです。

 
 


 

 - TV