”地獄坂”(長崎) で自分の命を犠牲にして乗客を救った車掌 鬼塚道男さん!

      2018/05/25

 

2018年5月24日(木)放送のフジテレビ『奇跡体験!アンビリバボー』で、あるバスの車掌さんの話が紹介されます。

その人の名前は鬼塚道男さん。
鬼塚さんは、自分の命を犠牲にし、バスの乗客の命を救った車掌さんです。


スポンサーリンク


 
 

鬼塚道男さんは1927年(昭和2年)3月20日、鹿児島県大口町(現 大口市)に生まれました。

3人姉弟の真ん中で長男だった鬼塚さんは、心優しい方だったそうです。

鬼塚さんは、戦後間もなく長崎自動車(現 長崎バス)に就職。

勤務地である瀬戸営業所の二階に住み込み、昼間は車掌としてバスに乗務し、長崎までの道を1日往復する生活を送っていました。

 

バスといっても現在のようなディーゼルエンジンではなく、当時は車体の後部に大きな釜をつけ木炭を焚きながら走る木炭バス。

車庫を出る何時間も前から木炭を燃やし火の調子をととのえなければならなかったそうで、走行中にエンジンが停止することも多くそのたびに釜の中の火を長い棒で突いて、ならす必要がありました。

なんと、坂道では乗客が降りてバスを押すこともあったそうです。
 
木炭バス

引用元:長崎バス
 


スポンサーリンク

 
 

”地獄坂”でブレーキが!


 

1947年(昭和22年)9月1日
鬼塚道男さん(当時21歳)は、朝8時に大瀬戸(旧 大瀬戸町)発 長崎行きの木炭バスに乗務しました。

満員に近い乗客を乗せ、バスは長崎県西彼杵郡時津町(旧 時津村)の打坂(うちざか)峠を上っていました。

当時の打坂は急こう配で、片側が10メートル以上の深い崖になっており、運転手からは”地獄坂”と恐れられていた難所でした。

 

そして悲劇が起きたのです。

峠の頂上まであと数メートルというところまで上ったところで突然、ギアシャフトが外れブレーキが効かなくなったのです。

バスはずるずると後退を始め…騒然とする車内!

バスを降りて止めるよう指示された鬼塚車掌は後ろに回り込み、手当たり次第に石や棒をタイヤに挟んで車止めにしようと試みます。

しかし、勢いのついたバスは止まらず…多くの客が乗ったバスは石をはねのけてしまいます。

その先には高さ10メートルの断崖が!
このままでは乗客を乗せたまま崖に転落してしまうという中、鬼塚さんは信じられない行動に出たのです!


スポンサーリンク


 
 

鬼塚車掌がとった行動とは!?


 

乗客のだれもが最悪の事態を覚悟する中、間一髪のところでバスが停まったのです。

乗客に安堵の声があがりますが、そこに鬼塚さんの姿はありませんでした。

鬼塚さんは、バスの後ろで石のようにうずくまっている姿で発見されました。

崖まであと数メートルというところで、鬼塚さんは自らの身体を投げ出してタイヤの下敷きになりバスを止めたのです。

およそ30人の乗客と運転士は無事でしたが、鬼塚さんは搬送先の病院で息を引き取りました。

 

 

打坂地蔵尊


 

21歳というあまりに短い生涯を終えた鬼塚道男さん。

自らの命を犠牲にして乗客・運転士の命を救った鬼塚車掌の殉職は人々に大きな感銘を与えました。

戦後間もない貧しい時代で人々は鬼塚さんのために供養らしいことは何もしてあげることができませんでしたが、彼の勇気ある行動は乗客や町の人々の心に残っていました。

ただ、彼の死は一部の人にしか語り伝えられなかったそうで、やがてその出来事も忘れ去られようとしていました。

 

しかし、事故から24年後のある日、乗客の証言に基づいて鬼塚車掌のことが小さな新聞記事になったのです。

それを目にした長崎自動車の社長は「こんな立派な社員がいたことを忘れてはいけない」と大変なショックを受け、打坂のそばに記念碑とお地蔵さんを建てて供養することを決めました、

 

1974年(昭和49年)10月、事故現場付近である長崎県西彼杵郡時津町の打坂峠に
建てられた鬼塚さんの記念碑と地蔵菩薩 打坂地蔵尊(うちざかじぞうそん)。
 

引用元:長崎バス
 
 
鬼塚さんの命日には今も供養祭が行われているそうです。


スポンサーリンク


 
 

 - TV