市橋達也 オーハ島での逃亡生活 【リンゼイ・アン・ホーカーさん事件】

      2018/04/30

 
2016年9月28日(水)に放送された日本テレビ『衝撃ニュース 追跡リサーチ調べてみたら驚いた!』~市橋達也の逃亡ルート再検証で見えてきた真実~でリンゼイ・アンホーカーさん殺害事件が紹介されました。

 

この事件は、2007年3月千葉県市川市のマンションで、英会話講師の英国人女性リンゼイ・アン・ホーカーさん(当時22歳)の遺体が見つかった事件。
 

 
リンゼイさんの尊い命を奪った市橋達也は顔の整形手術を受け2年7ヶ月もの間、逃亡していましたが、2009年11月10日大阪市内で発見、逮捕されました。
 

市橋達也
 
 

市橋達也といえば、顔の整形手術、沖縄の離島オーハ島に長期間潜伏するなど逃亡生活が話題になりましたね。
市橋は潜伏していたオーハ島で、どんな生活をしていたのでしょうか。

 

今回、『衝撃ニュース 追跡リサーチ調べてみたら驚いた!』では、なぜ、市橋達也が2年7ヶ月も逃げ通せたのか…市橋の逃走ルートやその行動と逃走心理について再検証していました。


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事件概要

 
2007年3月26日
 
英会話学校講師 リンゼイ・アン・ホーカー(Lindsay Ann Hawker)さんと同居していた女性からリンゼイさんが帰宅しないとの相談を受けた千葉県警船橋警察署員が被害者宅を捜索したところ、市橋達也(当時28歳)という男の電話番号やメールアドレスなどが書かれたメモを発見。

 

26日午後9時40分ごろ

捜査員が千葉県市川市にある市橋達也宅のマンションに急行、職務質問し部屋に入ろうとしたところ、市橋は逃走。

ベランダに置かれた浴槽からは、園芸用の砂に埋まったリンゼイさんの変わり果てた姿が発見された。

 

司法解剖の結果、死因は頚部を圧迫したことによる窒息死と判断された。

 

 

沖縄 オーハ島に潜伏

 

市橋容疑者は、2009年11月10日、約2年7ヵ月ぶりに大阪市内で発見、逮捕されました。

今回、『衝撃ニュース 追跡リサーチ調べてみたら驚いた!』では、なぜ、市橋達也が2年7ヶ月も逃げ通せたのか、市橋の逃走ルート、その行動と逃走心理について再検証していました。

市橋は、長期間潜伏していた沖縄の離島でどのような生活を送っていたのでしょうか。

 

 

子供の頃からプライドが高かったという市橋は、医学部志望だったが4浪して挫折。

市橋の祖父は園芸店を経営しており、祖父と同じ園芸の道を目指し千葉大 園芸学部卒業したが留学を志望、結局、就職しませんでした。

 

事件当時、市橋は親族名義の3LDKのマンションで一人暮らし。

仕事はしておらず、生活費は医師である親が送ってくれていたといいます。

 

そして、市橋は事件を起こして逃走。

2011年1月26日に出版された、市橋達也の逃亡手記『逮捕されるまで~空白の2年7ヵ月の記録』(幻冬舎)では、事件発生直後から市橋が日本中を逃避行していたことが綴られていました。

事件発生直後は、青森、東京 秋葉原、埼玉、静岡、新潟にも潜伏。
お遍路回りで四国全県を回ったこともあったといいます。

 

コンビニや駐車場の防犯カメラを巧妙に避け、逃走した市橋がまず辿りついたのは、青森でした。

手記によれば、ここでホームレスになり身を潜めようと考えていたといいます。

 

しかし、ようやく決めた寝ぐらも4月の青森の気温は、時に氷点下。

これまで親の金で生きてきた市橋につきつけられた現実でした。

まずは働かなければならない…働くためには、まず顔を変えなければと考えた市橋は、特徴的な下唇を自ら切ったといいます。

 

その後、市橋は大阪などで働いた金を貯め、沖縄 久米島近くの離島で潜伏生活を送っていたことが明らかになっています。

 

大阪や兵庫などで土木建築作業員として合計2年以上働いていたという市橋が潜伏先の一つにしていたのは、沖縄本島の西に位置する約100キロの久米島沖合にあるオーハ島でした。

 

 

周囲 約2.7キロ、面積0.37キロ平方メートルのオーハ島に当時、居住していたのは、70歳代の男性1人だけで、市橋は、密林地帯にあるコンクリートブロックの小屋に潜伏。

 

逃走中、市橋被告はこの島を少なくとも4回は訪れ(1回の訪問につき数ヵ月間 滞在)持ち込んだ食料や、海で釣った魚、時に、捕獲したヘビなどを食べながら自給自足の逃亡生活を送っていたといいます。

 

2011年1月23日に千葉県警は、捜査員をオーハ島に派遣、小屋の残留物を証拠品として押収しています。


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逃走中に顔の整形手術

 

市橋容疑者といえば、逃走中に名古屋の病院で顔の整形手術を受けていたことが明らかになっています。

2009年10月24日に市橋容疑者とみられる男の鼻の整形手術をした名古屋市の美容形成外科医院が捜査当局に連絡。

県警は、骨格などから市橋と断定し、11月5日に顔写真を公開。
指名手配の顔写真は、美容形成外科医院が提供した整形後の顔写真に差替えられました。
 

左が整形前 右が整形後
 
 
整形した市橋の顔は、一重まぶたが二重になっているほか、左頬にあったホクロはなくなり鼻も高くなっています。

また、印象に残る厚ぼったい下唇は、市橋が自ら切り薄くなっていました。

通報した名古屋の美容形成外科医院によると、市橋容疑者は、この美容形成外科医院に事前に電話予約し、10月24日に鼻の手術を行ったといいます。

 

手術前、市橋容疑者はすでに、まぶたや、ほくろの除去などの整形手術を受けていたため実際の施術にあたっては市橋容疑者だとは全く気付かなかったといいますが、手術後にカルテの整理をしていた担当医がホクロを除去した跡がうっすら残っている市橋容疑者のカルテ写真を不審に思い通報しています。
 
 

建設会社からの通報

 

逃走中、大阪や兵庫などで、土木建築作業員として合計2年以上働いていたという市橋。

2008年2月29日から6月26日までの間、市橋容疑者とみられる男が”井上”という偽名を使い神戸市北区の建設会社に勤務。

神戸市の建設会社によると、この男は、2月28日に大阪市西成区で作業員を集めていた同社関係者に近づき働きたいと話してきたといい寮に住み込みで働くことになった この男は、黒縁眼鏡姿で長髪を後ろに束ね、年齢は28歳と言っていたそうです。

 

男は、毎日(雨天除く)、京都府舞鶴市の工事現場などに同僚が運転するマイクロバスで仕事に出かけ、礼儀正しく仕事ぶりもまじめだったが、同僚らと積極的に交流することはなく、休日は3.5畳の自室で漫画を読むなどして過ごしていたそうです。

 

その後、同年8月20日から10月10日まで同じ偽名を名乗る男が大阪府茨木市内の建設会社に勤務していたことが明らかになっていますが、報道で市橋の整形後の顔写真を見た大阪の建設会社が警察に通報しています。

 

 

逮捕

 
この事件は、2007年6月に報奨金を国費でまかなう「捜査特別報奨金制度」の対象事件に指定されており、逮捕の協力者に報奨金 計1千万円を支払うことになっていました。

 

当初、100万円だった報奨金の額は制度上限の1千万円に引き上げられており、2009年11月5日に千葉県警が市橋被告の整形手術後の写真を公開して以降、逮捕されるまでに約2千件の情報が寄せられたといいます。

 

そして、逮捕の直接の決め手は、大阪 住之江区のフェリーターミナルで市橋に似た男をを確認したフェリー会社の男性からの110番通報でした。

 

2009年11月10日、神戸市東灘区の六甲船客ターミナルで、フェリー会社の従業員が、沖縄行き航路に搭乗しようとしていた乗客の中に市橋達也に似た不審な男性を発見。

 

出航日でなかったため大阪南港フェリーターミナルから別の船に乗ろうとした市橋だったが、先回りし待機していた警察官により身柄を確保され、移送された大阪府警住之江署で逮捕されました。

約2年7ヵ月にわたって逃走を続け、2009年11月10日に大阪市住之江区で発見され死体遺棄容疑で逮捕された市橋達也 容疑者。
 

 
 
2009年12月2日、行徳署捜査本部は市川市のマンション自室でリンゼイさんを乱暴した上、首を絞めて殺害した疑いで市橋容疑者を再逮捕し、千葉地検は死体遺棄罪で同容疑者を起訴しました。
 

発表によると市橋容疑者は2007年3月25~26日に、自宅マンションでリンゼイさんの顔などを何度も殴り、結束バンドと粘着テープで両手首などを縛ったうえ暴行を加え、首を絞めて窒息死させた疑いがあり、リンゼイさんの遺体からは体液が検出され市橋容疑者のDNA型と一致。

 

捜査関係者によると、2007年3月21日、市橋容疑者が千葉県船橋市のJR西船橋駅近くでリンゼイさんに声を掛け、英会話の個人授業の約束を取り付け、25日に市川市内の飲食店で会った2人は、タクシーに乗り市橋容疑者宅へ向かったといいます。

 

 

 
マンションの防犯カメラの映像などから、市橋容疑者とリンゼイさんが一緒にマンションの防犯カメラに映っており、2人がマンションに入ってから市橋容疑者が警官を振り切って逃走するまで、別の人物が室内に出入りした可能性はないと判断。
 
リンゼイさんの遺体や現場の状況などから、市橋容疑者が暴行目的でリンゼイさんを襲って殺害、ベランダに置かれた浴槽の中に遺棄したとみて、起訴後の裁判員裁判で犯行動機を明確にしたうえで殺害までの経過を裏付けるため両容疑での逮捕に踏み切ったといいます。
 
県警の記者会見では、捜査一課長が、「現場周辺の聞き込み、現場の鑑識などの捜査を積み上げた結果だ」としたうえで、殺害が暴行と密接して行われたと判断したと、殺人と強〇致死の二つの容疑で立件した理由について説明していました。
 
 
一方、逮捕されてから県警や地検の取り調べに対し黙秘を続けてきた市橋容疑者は、千葉刑務所の拘置施設で再逮捕を知らされ、「はい、分かりました」と小さい声で応じたが、容疑については無言のまま何も話さなかったといいます。

 

しかし、その後 接見した弁護人への取材で、市橋が「暴行後、手足を縛って監禁したが騒がれたので首に腕を巻き付けたら死んだ」「殺すつもりはなかった」と説明、殺意は否定していました。


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裁判

 

2011年7月21日に千葉地方裁判所で行われた一審。
 
市橋被告に対し検察側の求刑通り、無期懲役の判決が言い渡されました。

 

同年8月2日、市橋被告の弁護側は東京高等裁判所に控訴。
 
2012年3月15日、東京高等裁判所で控訴審初公判が開廷され、被告人側が殺意を否認する弁論を行ったのに対し、検察側は一審の無期懲役判決を維持して控訴を棄却するよう求める陳述を行いました。

 

同年4月11日、東京高等裁判所は「被告人に真摯な悔恨が見られない」などとして、一審の千葉地方裁判所の無期懲役判決を支持して被告人の控訴を棄却。

 

同年4月25日の上告期限まで検察・弁護側双方が上告せず判決が確定しました。
 



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