平尾奎太(ホンダ鈴鹿)腎臓の病気を乗り越えて!【お母さん ありがとう】

      2018/10/20

 

 
2018年10月25日(木)プロ野球ドラフト会議が行われます。

今年のドラフトは、球界の未来を担う逸材揃い!
注目は、史上初となる2度目の春夏連覇を達成した大阪桐蔭の根尾昂選手、藤原恭大選手や、秋田大会から1人でマウンドを守り甲子園でも全6試合に先発し4試合で2桁奪三振の力投を見せた金足農の吉田輝星選手ら今年甲子園を沸かせた選手たちの交渉権の行方です。

ドラフト会議の模様は、午後4時50分からTBS系で生放送。

また、午後7時からはドラフト緊急特番『お母さん ありがとう』が放送されます。
 


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お母さん ありがとう
2018年は!?

『お母さん ありがとう』は、さまざまな悲劇や挫折を乗り越えプロ野球への夢を追い続けた親子の物語が紹介され、その選手の指名の状況や喜びの声が中継されます。

今回紹介されるドラフト候補は、難病を乗り越えて奇跡の復活を遂げたサウスポー Honda鈴鹿所属の平尾奎太投手(24歳)。

高校、大学と苦境を経験、大きなピンチを乗り越えた今、野球が続けられていることに感謝しているという平尾投手。
同じ境遇の人たちに勇気を与えることが自分の使命だと感じているそうです。

ここからは、野球を続けるため闘病生活を支えてくれた両親、そして激励してくれたチームメイトや先輩のエピソードも交えながら平尾選手がいかにしてドラフト候補生と呼ばれるまでの復活を遂げたのかまとめてみました。

 

平尾奎太投手 プロフィール

 

 
【平尾奎太投手】
引用元:honda.co.jp
 

【生年月日】
1994年6月21日

【出身地】
大阪府

【身長】
188cm
【体重】
90kg

【投球打席】
左投左打

好きな投手は山本昌(元中日)さん。
 
 

【平尾奎太投手】


YouTubeより引用
 

 


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生まれつきは右利きだった!

 

最速146キロ。188cmの長身から投げ下ろす角度のあるストレートや、チェンジアップを決め球に多彩な変化球が持ち味の社会人ナンバーワン左腕 平尾奎太投手。

しかし、生まれつきは右利きだったそうで、父 健二さんの助言でサウスポーに転向。

平尾投手の父 健二さんは社会人野球 NTT北陸で11年プレー。(右投右打 一塁手)

野球人の父の影響で自然に白球と触れ合うようになった平尾投手は、泉佐野第一小2年時から泉佐野レッドスターズで野球を始めます。
府大会優勝。近畿大会準優勝。

佐野中までは軟式野球でプレーし、府大会4強の実績を残し名門 大阪桐蔭高に入学します。
 


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難病との闘い


大阪桐蔭高ではシニア、ボーイズなど硬式野球経験者が多く占める中、平尾投手は軟式組。
しかも、同級生には3年時に甲子園で史上7校目の春夏連覇の原動力となったエース藤浪晋太郎投手(阪神)や、澤田圭祐投手(オリックス)ら実力者がそろっていました。

チーム内競争が激しさを増す中、努力を重ねてきた平尾投手は貴重な左腕として2年春からベンチ入り。
甲子園出場も果たしました。

 

しかし、府大会を直前に控えた高校2年の秋、突然、悲劇は訪れます。

腎臓の機能が低下する「IgA腎症」という国指定の難病を発症したのです。

実は、4月の検査で腎臓機能に異常が見つかっており6月に再検査。
自覚症状はなかったそうですが状態が上がらないため9月に再々検査。

すると、とんでもない数値が出て…医師からは絶対安静を告げられ「野球を続けることは難しい」とマネジャー転向を勧められたのです。

しかし、平尾投手は現役続行を願い「完治が長引いてもいいので野球を続けたい」と母に強く訴えます。

息子の夢をかなえるため親子二人三脚での闘病生活が始まりました。

平尾投手は12月まで入退院を繰り返し、その間、チームは府大会、近畿大会と勝ち上がりセンバツ甲子園出場は有力。
入院中だった秋の府大会中には、藤浪投手から「俺がしっかり抑えるので大丈夫」と励ましの電話があったそうです。

これまで甲子園に出場するためにやってきた平尾投手は、医師に頼み本格的な治療は3年夏が終わるまで延期。
3年春のセンバツ前(1月)に一度復帰しています。

センバツでは、背番号11でベンチ入りした平尾投手ですが、調整段階のため試合に出ることはありませんでした。

しかし、チームは藤波投手の活躍もあり甲子園で春夏連覇を達成。

平尾投手はその時のことを次のように語っていました。
「やっぱり子どもの時から、夢は甲子園のマウンドに立つことだったので、かなわなかったというのが、うれしい反面、悔しかった」
 


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先輩 岩田稔投手からの激励

ところで、「IgA腎症」は、悪化すれば人工透析も必要になる病気。
平尾投手は、早期発見だったため本格的な治療を延期する時間が持てましたが、仮に遅れていれば危険な状況も考えられたといいます。

手術で選手生命をつないだ平尾投手、服用する薬は5種類ほどで1日10錠以上、食事制限などで体調をコントロールしながらプレーしてきました。

入院中は思い悩み、心が折れそうになったこともあったといいます。

 

そんな時、平尾投手の心の支えになった人が!

それは大阪桐蔭の先輩、阪神の岩田稔投手

岩田投手も高校時代から病気で苦しみ、病気と向き合いながらも投げ続けてきた左腕です。

岩田投手は、高校2年秋からエースとなり秋の府大会で準優勝、近畿大会でも8強入りしましたが、同年冬に風邪を引いた際のウイルス感染が元で1型糖尿病を発症。
病気と闘いながらプロの第一線で活躍を続けています。

そんな岩田投手が平田投手が入院している病院にお見舞いに来てくれたのです。
これは、選手のことをいつも親身になって考えてくれる西谷浩一監督の計らいでした。

病室を訪れた岩田投手は「病気っていうのは神様が乗り越えられる人にしか与えないもの」という言葉で平尾投手を激励してくれたといいます。

そして、平尾投手は病気と闘い、勝ち、プロの世界で活躍している岩田投手の言葉に勇気づけられたのです。

岩田投手はこの時のことを次のように語っていました。
「あいつも病気をして野球をやめないといけないって、たぶん思ってた時期があったと思う。病気を克服しさえすれば何でもできるっていうことを少しでも伝えたかった」
 


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病気を完治

 

夢の甲子園で高校野球を終えた平尾投手。

岩田投手のように病気の人を勇気づけられる存在になりたいと決意した平尾投手は、治療に専念するため再びグラウンドから離れました。

同級生の藤浪投手は卒業後、阪神に入団しましたが、平尾投手は同志社大学に進学。
2年間登板はなく裏方に徹し、2度の入院生活も経験。
炎症を抑えるための治療が続きました。

大学では仮に野球が出来なくなった場合を見据え、第2の人生も考え、卒業単位とは別に教職(社会科)の単位も取得。
大学4年時には母校である大阪桐蔭高に教育実習に行き、当時1年生だった根尾昂選手や藤原恭大選手らを指導していました。

 

その後、病気が完治した大学3年の春に実戦復帰。
同秋の関学大戦でリーグ戦勝利を初完投初完封で飾りました。
関西学生リーグ通算8勝、4年秋には4勝を挙げベストナインを受賞。

そして、Honda鈴鹿では入社1年目から公式戦のマウンドに上がり主戦として活躍。
昨夏の都市対抗では先発、救援で2試合141イニング無失点。11奪三振。

昨年10月には侍ジャパン社会人代表としてアジア選手権で優勝、JABA選抜でアジア・ウインター・ベースボールも経験しました。

 

野球ができることに感謝

 

難病と向き合いながら野球を続けている平尾投手。
現在も3カ月に1回の通院を続けていますが数値はまったく問題ないそうです。

平尾投手は、マウンドに立てる喜びから、どんなピンチでも苦しいと思わなくなったそうで、同じ境遇の人たちを元気づけることが自分の使命だと感じています。

両親をはじめ、監督やチームメイト、勇気づけてくれた先輩らの支えがあって、これまで野球を続けてこられたという平尾投手。
グラブの中には「野球ができることに感謝」という言葉が刺繍がしてあるそうです。

プロになって、これまで支えてくれた人たちに良い報告ができるか!?
運命のドラフト会議、入社2年目の平尾投手の名前は呼ばれるのでしょうか。注目です。
 

 

 
 


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