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服部弾馬と一色恭志が愛知・豊川へ転校した理由とは?

   

 

2017年1月2日~3日、
正月恒例の箱根駅伝が開催されます。

 

原晋監督が率いる
青山学院大学は、
出雲駅伝、全日本駅伝を制して、
史上4校目の大学駅伝3冠に王手を
かけています。

青山学院大学は優勝候補として
注目を集めています。

個々の能力や選手層の厚さでは、
頭一つ抜けている青山学院大学ですが、
その中でも注目されているのは
4年生の一色恭志選手ではないでしょうか?

また、
一色恭志選手のライバルとして
名前が挙がるのが、
東洋大学4年生の服部弾馬選手です。

この2人は同じ高校で切磋琢磨してきました。
またライバルであり固い絆で結ばれて
いました。

今回は、
一色恭志選手と服部弾馬選手についてまとめてみました。

 

仙台育英から豊川への転校

 

まず
2人のプロフィールですが、

【一色恭志選手】

生年月日 1994年6月5日

出身地 京都・与謝野町

身長 169センチ

体重 55キロ

出身高校 愛知・豊川高校

所属 青山学院大学経営学部経営学科

【服部弾馬選手】

生年月日 1995年2月7日

出身地 新潟・十日町市

身長 174センチ

体重 60キロ

出身高校 愛知・豊川高校

所属 東洋大学経済学部

 

一色恭志選手と服部弾馬選手は
仙台育英高校へ進学しましたが、

2012年に愛知・豊川高校へ
転校しています。

理由は東日本大震災の影響ということだそうですが…

ちょっとした噂がありますね。

一色恭志選手と服部弾馬選手が高校2年次は
仙台育英は予選タイムも良く全国高校駅伝で
優勝候補の一角として注目されていましたが、
結果は12位。

それに伴い、
学校側は陸上部の清野純一監督が解任し、
男子を6度優勝に導い渡辺高夫前監督を復帰させ、その指導の下で清野監督を残留させる案を提示します。

しかし、
清野純一監督はその提示を拒否。

また、
保護者も清野純一監督の継続を希望したため、
学校側は改めて、清野純一監督の継続を求めますが、
結局、
清野純一監督は退任してしまいました。

まぁ清野純一監督からしてみれば、
複雑な気持ちになると思います。

学校側は一度、
清野純一監督を解任したにも関わらず
保護者から猛反対され、
もう一度、
監督継続を提示したわけですから…

清野純一監督が退任が決まり、
不安を感じた選手達、10人(男子7人、女子3人)が愛知・豊川高校へ転校したそうです。

10人の選手の中に
一色恭志選手と服部弾馬選手も
含まれていました。

東日本大震災の影響で思うような練習が
出来なかったというのもあると思いますが、
監督の退任も転校への動機となったのではないでしょうか?

 

 

 

全国高校駅伝での成績

 

【一色恭志選手】

高校1年次(仙台育英)
全国高校駅伝で2区を任され区間2位。

高校2年次(仙台育英)
全国高校駅伝で7区を任され見事区間賞。

高校3年次(豊川)
全国高校駅伝で4区を任され見事区間賞。

【服部弾馬選手】

高校1年次(仙台育英)
全国高校駅伝で6区を任され、区間9位。

高校2年次(仙台育英)
全国高校駅伝で4区を任され区間24位。

高校3年次(豊川)
全国高校駅伝で1区を任され区間2位。

 

高校3年次には、
一色恭志選手と服部弾馬選手の活躍もあり、
愛知・豊川高校は全国高校駅伝で初出場で初優勝
を果たしました。

その後、
一色恭志選手は青山学院大学へ進学。

服部弾馬選手は東洋大学へ進学。
服部弾馬選手は1つの兄の服部勇馬選手の
影響が強かったようです。

仙台育英へ進学したのも兄の勇馬が進学した高校でしたし、
東洋大学も兄の勇馬が進学した大学でした。

一色恭志選手と服部弾馬選手は高校1年次から
全国高校駅伝を経験し、
ライバルでもあり、固い絆で結ばれていったのではないでしょうか。

これからも一色恭志選手と服部弾馬選手の
ライバル関係は続いていきそうです。

気になる大学卒業後の進路先ですが、
一色恭志選手はGMOアスリーツという会社に決まっているそうです。

一方、服部弾馬選手は
トーエネックという会社に決まっているそうです。

最後に
箱根駅伝では、
一色恭志選手は2区を任せると
青山学院大学の原晋監督も公言していますが、
服部弾馬選手も2区を走るのでしょうか?
注目が集まります。

 

 

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